はじめまして!
株式会社KOBATSUトレーディング代表取締役の小林努です。
ビール業界では「こばつ」の方が判りやすい方多いかもしれません。
私は昨年の3月末に17年勤務した大手半導体メーカーを退職し、
昨年11月ドイツビール、しかもバイエルンのビールに特化した
輸入・販売の会社を起業し、今年7月よりプランク醸造所の
ビールの輸入販売を開始致しました。
※プランク頒布会についてはこちらから
ただのビールマニアが異業種から突然ビールのインポーターに転身する例は
決して多くはないと思います。ここに至るまでのヒストリーを
何回かに分けての連載という形で皆様にご紹介したいと思います。
1994年、私は大手総合電機メーカーであるH製作所に入社し、
半導体事業の国内営業部門に配属されました。
本当は海外営業に配属されたかったのですが、TOEICの点数が全然足りず、
国内営業に配属されたわけです。最初の4年半は某大手OA機器メーカーを担当し、
次の2年半は当時出始めたばかりのフラッシュメモリ専任営業部門に所属しました。
当時は7社の特約店を1人で担当し、毎日のように飛び回っていました。
会社に泊まりこんでの仕事もたびたびありました。
毎日とても充実していたと思いますが、国内営業に所属しながらも、
「いつかは海外で仕事がしたい!」という野望はどうしても捨てきれませんでした。
その会社では、将来の幹部候補生育成制度として
「海外業務研修制度」というものがありました。
海外の現地法人に1年間赴任し、実務メンバーとしての勤務を通じて、
英語による業務遂行能力の向上、グローバルな視野の育成、
海外マーケティングの手法習得などを目的としたものです。
実は入社時に国内営業に配属された時点で
「国内営業→海外業務研修→海外営業→海外赴任」
というキャリアステップを考えていました。
しかしそのためには海外業務研修制度に合格しないといけません。
TOEICの点数が入社前に400点台だった私はそりゃぁ必死で勉強しましたよ。
その甲斐あって、合格基準を上回る700点を取り、面接も通り、
無事2001年度の海外業務研修の資格を得ることが出来ました。
しかし、当時の私の上司は私をアメリカに行かせようと考えていました。
当時アメリカにはフラッシュメモリの大口顧客がいたことと、
「赴任させるならやっぱりアメリカ」という安直な考えがあったのかもしれません。
でも、当時の私にはアメリカは全く興味が持てませんでした。
広い国土、何時間も飛行機で横断してもそこはアメリカ。言語は英語。
それに比べて、狭いエリアの中に様々な国と言語と文化が
たくさん存在するヨーロッパは私にとって魅力的過ぎました。
なんとかアメリカ行きを阻止すべく、私は水面下工作を図ったのです。
自分の上司にナイショで欧州営業部門の部長さんをお茶に誘いました。
そして、自分は研修先としてどうしてもアメリカではなく、
欧州に赴任したいという願望をアピールしまくりました。
私の熱い想いは通じたようで、「なんとか掛け合ってみる」と
おっしゃって下さいました。その時、欧州営業部の部長さんから聞かれました。
「小林くんはヨーロッパのどこに行きたいの?」
ミーハーな私は間髪入れずこう答えました。
「パリ事務所に赴任したいです!」
つづく